20171126
家にある猫の貯金箱は地が青く、耳と首輪は緑色で鼻と口は橙色に塗られている。正面から見て左の耳は折れており、中には私が毎年一度は通っている銭洗い弁天で洗ったお金が入っている。
これは父方の祖父の作品で、祖母に頼んで譲ってもらったものだ。これを見た人は皆、認知症の典型的な症状だという。痛々しいものを見ているような顔をする。
しかし、私にとってそんなことはどうでもよかった。色覚異常だろうとなんだろうとその色使いは美しかったし、これが手元にある限り祖父を忘れずにいられるような気がした。
祖父はまだ死んではいないが、管に繋がれて味のしない病院食を食べ、たまに訪れる私を誰だか知覚できないまま死を待ち続ける日々を送っている。多分。
多分というのは、会ったところで話をしないので実際はどうだかわからないからだ。もしかしたら、もう会話もできないのかもしれない。
義務感に突き動かされ、時々動けなくなった祖父のいる病院に行く。寝ているんだか、テレビを見ているのだかわからない祖父の背中を眺め、無性に悲しくなって時々泣いてしまう。
どれだけ悲しくても時間が経てば水分は足りなくなって涙は止まる。それをわかっているので、適当にその場をやり過ごす。
そのうち祖父が死んで、祖父を知る人たちも少しずついなくなって、最後にはほとんどのものがなくなると思うと少しだけ気が楽になる。
了